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平王 (楚)[へいおう]
平王(へいおう、? - 紀元前516年、在位:紀元前528年 - 紀元前516年)は、中国春秋時代の楚の王。姓は芈、氏は熊、諱は弃疾(即位後、居に改名)。共王の五男、康王(zh)・霊王・訾敖(zh)・子晳(zh)の弟。 == 生涯 ==
=== 王位簒奪 === 公子弃疾は兄霊王の命で陳や蔡を滅ぼして、陳公や蔡公を名乗ったり〔楚王に即位後、最後の陳公哀公の孫(恵公)や、最後の蔡公霊侯の子(平侯)をそれぞれ国君として擁立し、両国を復興している。〕、斉で悪名を鳴らして呉に亡命していた慶封(zh)を攻めて処刑するなど、霊王の手足として活躍していた。 しかし、霊王の悪政による不満が国内中に高まったのを感じた弃疾は、兄の公子比や公子黒肱(子晳)と組み、紀元前529年に霊王不在の隙を突いて霊王の太子達を暗殺、楚王となった比こと訾敖により、弃疾は司馬に任じられる。その直後の5月18日、弃疾は「王(霊王)が帰国して、新王を処刑する」との流言飛語を都に流して訾敖と令尹子晳を自害へと追い込み、翌5月19日に自らが楚王として即位する。〔なお、霊王は平王即位後の5月26日に自害して果てた。〕
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平王 (楚)」の詳細全文を読む
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